この記事は、「【論文】:報酬系回路の暴走と「美食」という名の認知バグ 〜進化のレガシーコードがいかにして現代人をハックしたか〜」の簡易説明版です。論文はこちら→【論文】報酬系回路の暴走と「美食」という名の認知バグ 〜進化のレガシーコードがいかにして現代人をハックしたか〜
先日、そそくさと外出準備をしている最中に、強烈な違和感に襲われました。
私は本来、引きこもって思索に耽るのが好きな人間です。それなのに、その時は「何か甘いもの食べたいな~」という一心で頭がいっぱいになっており、外に出る準備を整えていました。これは客観的にみて、おかしな状況です。本当に必要なことなのか?「お腹がすいているわけではない」のに。
「なぜ、私はこれほどまでに突き動かされているのか?」
その時、私の中で一つのスコトーマ(心理的盲点)が外れました。私たちが「美味しいもの」と呼び、人生の豊かさだと思い込んでいるものの正体。それは、進化の過程で置き去りにされた「脳のバグ」に過ぎないのではないか、ということです。
味覚は本来「仕分けセンサー」だった
生物学的に考えれば、味覚の役割は極めてシンプルです。
- 酸味や苦味:「腐敗している」「毒がある」という警告
- 甘味や脂質:「エネルギー源になる」というサイン
本来、味覚は「体に良いものか、悪いものか」を判断するための「検品用センサー」でした。しかし、食糧が飽和した現代において、このシステムは致命的な誤作動を起こしています。
(図:代謝維持のための食事と、快楽のための食事のルートの違い)
今の私たちが求めている「美味しい」は、もはや生存のためのサインではありません。それは、糖分や脂質という特定の化学刺激によって、脳内の報酬系(ドーパミン)を直接ハックし、強引に「快楽スイッチ」を連打する行為です。これは、アルコールや薬物への依存と構造的に何も変わりません。
「美食文化」という名の幻想
そう考えると、世の中の景色がガラリと変わって見えます。
テレビやSNSで崇め奉られるスターシェフやパティシエたち。彼らは「文化の担い手」として賞賛されますが、構造的に見れば、「人間の脳がいかに安易に快楽を感じるか」を研究し尽くした、極めて精緻な調合師(プッシャー)とも言えます。
飲食店を全否定するわけではありません。しかし、「美味しい」が無条件に正義とされ、ステータス化されている現在の文化には、ある種の危うさを感じます。私たちは、自分たちの脳がバグっていることを隠すために、「美食」という美しい言葉でコーティングしているだけではないでしょうか。
「快楽」を捨てて「喜び」を取り戻す
安易な快楽スイッチをオフにすることで、私たちはもっと本質的な「生命としての喜び」を取り戻せるはずです。
- 受動的な快楽:外からの刺激(味覚)によって「脳」をバグらせて得る一時的な興奮。
- 能動的な喜び:正しい栄養によって「体」が整い、軽やかに動くことへの充実感。
「体がよく動く」ことに喜びを感じるように。あるいは瞑想によって意識が澄み渡ることに充足感を得るように。外的な刺激に依存せず、自分の内側から湧き上がる「健康という名の報酬」こそが、本来人間が目指すべき活動のエネルギー源であるべきです。
「美味しい」という感覚が、実は脳のハッキングに過ぎないとしたら?
そのスイッチを一度オフにしたとき、あなたの本当の「文化的な活動」が始まるのかもしれません。
